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ヘレンケラーを育てたサリバン先生の個別指導法の精神の継承。

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〒277-0064 千葉県柏市東山2丁目1-47

| 理念 | 動機 | 始まりの出来事 | エピソード |activities philosophy

| 理念 | 動機 | 始まりの出来事 | エピソード |

理念

特定非営利活動法人 わのこゑ 声育師 菅原三記

「わのこゑ」の理念は「世の為、人の為に尽す」ことです
その為に定款の目的を「児童・青少年等の健全育成」としました。
特に障害児・者の福祉活動に寄与する事を明示し、同時に人間の心
と身体の健全な成育を実現できる人材(指導者)の育成を進め、活動
を通じて明るい日本の未来の実現を目指しています。
 具体的活動は・・・
・ことばの遅れている幼児・児童が楽しく話せるようになる発声・
 発語・会話の支援をしています。
 その対象は特に発達障害・多動症・注意欠陥障害・言語障害と言
 われている幼児・児童です。

様々な特徴
・ 学習障害 人の話に集中できず言葉や文字を理解できない等々
・ 自閉的傾向と自閉症 思っていることを会話で思うように伝えら
  れない等々
・ 行動障害(多動症) ジッとしている事が苦手で日常的突発的に
  不規則な行動をする等々


・ 統合失調症 何らかの知的・精神的な問題があるとされ社会生活が難しい等々
・ 重度の言語障害 身体的または精神的な何らかの理由によって発語が不自由で聞き取れない等々

 
 このような特徴の児童・成人に生きる意欲と使命を持っていただき会話によるコミュニケーションが明るく
 元気 に出来るようにすることこれが私たちの「世の為、人の為に尽す」という理念の具体的の内容の1です。
 この理念を実現するために現在できることから初めています。その始まりが児童発達支援事業・放課後等デイ
 サービスです。


動機

菅原三記による紙芝居の実演それは「ある出来事」がきっかけで「障害と言う言葉自体を無
くしたい」と決意したことです。それは障害児・者として診断
され、年齢に応じた施設生活している人を直接支援した、経験
がはじまりでした。

それにはたくさんのエピソードがあります。そこで感じたこと
は障害者施設にいる人も特別支援学校にいる生徒も児童発達支
援を受けている幼児・児童も早いうちに「発声療育」を始めれ
ば全く違う生活ができたのではないかと言うことです。その時、
それならもっと早く「発声療育」を誰でも・どこでも・いつで
も受けられるシステムを作ろうと決心しました。

現在まで約20年近い支援の中で発声できなかった人はほとんどいませんでした。一定の訓練で「アイウエオ」
を始まりに「雨にも負けす」「奥の細道」の暗唱ができ、コミュニケーション能力が抜群に向上したのです。
支援・指導した人たち全てか感動の共有ができたのです。

一方でどうしてこれが知られないのか、知っても普及しないのかと言う問題も分かつて来ました。それは
「発声療育」を行いさらに普及させる施設がないのです。また、これを広めるしっかりとした指導体制が取
れないのです。これに気がついてその始まりの施設を作ることにしたのです。

始まりの出来事

それは「障害と言う言葉自体を無くしたい」と言う願いと目標を生んだ「ある出来事」からはじまりました。
児童・成人の絵画指導とこれに基づく「感性教育」を行っていた時、研修に来ていた方の中に「重度の知的障
害者施設」の職員Aさんがいました。

夏休みになるとその町の養護学校に通う生徒は家にいてもあまりする事がないので、施設の企画する工作や音楽
観賞などの行事に参加します。音楽は評判が良いのですが、工作はボランティアや職員の方がほとんど作り、
本来の製作者である生徒は、ほんの少し手を入れるだけでした。これを何とか最初から最後まで生徒に作ってほ
しいとの話があり参加者全員ができる「絵画指導」を行う事となりました。

一般的な作画では、紙に水彩絵の具で描くのですが、水彩画の技法は非常に難しく初めての方には思い通りの絵
になりません。まして、絵画の嫌いな方もいるとすればなかなか大変だと感じました。そこで始めに「おーい
おおすぎごんえもん」という詩の朗読をしました。朗読をすると部屋の空気が和やかな感じに変わりました。
でも絵の嫌いな女生徒Bさんは1人で部屋の隅に座っていました。Bさんは16歳まで絵を描いたことがない
そうです。しかし、他の人が絵を描いている時「おーい、おーい」と詩の一節を口ずさみはじめたのです。

心を感じる人の多くは一番好きな色を始めに使います。その上から色々な絵の具を重ねるのですが、多くの場合
「いわゆる泥色」になってしまいます。そこで行ったのが、透明のアクリル版にアクリル絵の具で作画すると
言うものです。

一色ごとにドライヤーで乾かしながら色を重ねます。すると裏返せば、自分の一番好きな色が前にでてきます。
この時の絵画教室は思いもかけない大変な感動の連続でした。Bさんは当時高校2年か3年生ですが絵が大嫌
いで描きませんでした。それがこれを機会に堰を切ったようにパワフルに絵を描きはじめたのです。
緑を基調に赤と黄色で力強い色彩の素晴らしく美しい色でとても情熱的で神秘的な絵が仕上りました。
彼女は、絵が嫌いなのではなく美しい絵の描き方を教わらなかったために興味がなかったのではないかと感じま
した。

受講者は初日は精神安定剤を飲んで作業をしましたが、2日目は絵を描く事で精神が安定し薬を飲みませんでし
た。昼食の時いつもは食欲がない女子生徒も他の人の御飯を食べるくらい元気に食事をし、絵がかけた事を喜ん
で「描けた!! 描けた!!」と大声で話し、手をたたいて大はしゃぎしました。

この出来事を機会にその施設で職員有志による絵画と発声の研修がはじまりました。その中ではある日、青年が
飛び入りで参加しましたが始めての訓練で吃音が無くなりました。そして、谷川俊太郎の「無言歌」を最後まで
読み切ったのです。研修は足掛け4年に及び、入所されている方にも少しずつ普及してアクリル画の製作が始り
た。それは公の展覧会で賞を得るまでになりました。

その経過の上に、3年程経て直接重度の入所者の方5人に「あいうえお」と詩を手書きで製作した教本による
発声トレーニングを行う事となりました。
会話が一切出来なかった青年がバリトンの声で発語し、会話まで出来ました。それは、本当に素晴らしい感動の
一瞬でした。話をすることで表情がそれまでと一変しました。びっくりする程明るく優しい笑顔になったので
力強い握手をしました。
 
行動障害・多動症と言われている青年が1時間半から2時間近く席に座って一生懸命発声訓練をするのです。
それは感動の連続で、職員のAさんは「奇跡です」という言葉を連発していました。そこで確信した事は「感動
が人を成長させるという真実の体験でした。「心を感じる人」に感動してもらうにはどうすれば良いのか。この
問いに最も率直に応えたのがその方々に感動と尊敬・畏敬の気持を持って頂いた「声」の響きだったのです。
共鳴する声の響きが心の中に新たな感情を芽生えさせたのです。そして、心のそこから溢れ出るとても美しい
表情に触れた時さらなる可能性と予感を強く感じました。


エピソード

エピソード01 ●エピソード02 ●エピソード03 ●エピソード04 ●エピソード05 ●エピソード06
エピソード07 ●エピソード08 ●エピソード09 ●エピソード10 ●エピソード11 ●エピソード12
エピソード13 ●エピソード14 ●エピソード15 ●エピソード16 ●エピソード17 ●エピソード18

 ■エピソードNO1■絵の大嫌いな障害児が絵画の創作に熱中  (特別支援学校)

 重度知的障害者施設(現在は特別支援施設)で養護学校(現在は特別支援学校)に通う生徒に絵画指導をした
 時です。絵が嫌いで描いたことのない女生徒が1つのきっかけで今まで蓄積されていた作画意欲が発揮!!
 この時の絵画教室は思いもかけない大変な感動の連続でした。緑を基調に赤と黄色で力強い色彩の絵が素
 晴らしく美しい色でとても情熱的で神秘的な絵を夢中で書き始め仕上げたのです。

 彼女は、絵が嫌いなのではなく美しい絵の描き方を教わらなかった為、すぐに汚くなってしまう絵を描き
 たくなかったと感じました。高い美的精神が未熟な絵に嫌悪感を持った。それこそ天才の感覚です。絵画
 教室が終了すると参加した生徒は午後から大好きなプールに行くことになっていましたが、画材を片付け
 ていると彼女が両手に絵の具を持って「描きたい」と訴えてきたのです。残念ながらできないと伝えると
 トイレに閉じこもってしまつたのです。

 障害児と言われている子の中に天才がいる。なぜ障害児と言われなければならないのだろうか。障害とさ
 れたら隠れた才能があっても評価されずに一生を過ごす。これは大変な損失であり、本人も家族にとって
 も不幸になると痛感しました。この課題を徹底的に追求しようと考えたことが活動を始めるきっかけにな
 ったのです。

 

 ■エピソードNO2■20代の最重度吃音の青年が悠長に朗読 (特別支援施設)

 施設では職員有志による絵画と発声の研修がはじまりました。
 研修していたある日、青年が飛び入りで参加しました。初めは職員かと思いましたが入所者の青年だった
 のです。それが始めての訓練で吃音が無くなって自然な発声ができたのです。その時職員が全員彼をびっ
 くりした目で見たので、理由を聞くと最重度の吃音で普段は一度も自然な話し方を聞いたことがない。

 奇跡が起きましたと言うのです。それから研修に参加しはじめ、ついに谷川俊太郎の「無言歌」を一度も
 つまづかずに最後まで美しい朗読で読み切りました。その時不思議に思ったのはどうして今まで彼に発声
 指導をしなかったのかと言う疑問でした。

 

 ■エピソードNO3■20代の統合失調症の青年が公募展で受賞 (特別支援施設)

 研修は足掛け4年に及び、職員を通じて絵画指導が入所されている方に少しずつ普及して行きました。
 発声をしてから絵を描き始めます。楽しいアクリル画の製作が始りました。すると一年も経たないうちに
 公募展への出店の話があり、試しに応募したのですが、その展覧会で入所者の1人が最高賞の次の賞を得
 るまでになったのです。次の年には2人が賞を得ました。その時、最重度の障害と言われていても指導に
 よって才能が開き様変わりすることがわかりました。

 

 ■エピソードNO4■ 発語しなかった20代の青年が突然会話 (特別支援施設)

 この施設で足掛け4年程経過した時、直接重度の入所者の男女合わせて5人に「あいうえお」の発声練習
 する声のトレーニングを依頼されました。その時参加したのは発声も発語も一切出来なかった20代後半
 ??年齢不明の青年です。児童の頃から施設で生活し、職員が偶然聞いたのはブランコに乗っている時に
 「ばばばば・ビビビビビー・ぶー」の声だったそうです。当然「アイウエオ」が全く出来ないと言うこと
 でした。最重度の行動障害と言われていた彼はなぜか私の声が大好きで、いつも静かに聞き入り
 「アイウエオ」の口の形を真似るようになりました。月2回3ヶ月で変化が起こりました。口真似から
 「ま」と声が出たのです。素晴らしい感動の一瞬です。研修のおしまいに缶コーヒーを全員で飲んだ時
 「もう飲んじゃったの」と尋ねたら、バリトンの良い声で「もっと飲みたいよ」と話したのです。
 これには参加者全員もびっくり、そしてこの会話をきっかけに今までの凄みのある暗い表情が一変しま
 した。びっくりする程明るく優しい笑顔になったのです。思わず力強い握手をしました。職員は発声指導
 を通じて現れた変化を「奇跡・奇跡・奇跡」と連発しました。しかしこれは奇跡ではありません。人間と
 して当然受けるべき言葉の教育を受ければどこでもいつでも誰でもできることです。

 

 ■エピソードNO5■最重度行動障害の20代青年がトイレを我慢(特別支援施設)

 行動障害・学習障害・多動症と言われていた青年が研修の間トイレも我慢して1時間ほどじっと席に座っ
 て参加していました。彼は最重度の行動障害で自閉症でしたが、トイレを我慢することはなかったそうで
 す。しかし、発声研修会に真剣に参加したのです。我慢しきれずもじもじし出したので休憩にしましたが、
 彼がこんなに集中して「勉強」したことはなかったそうです。発声研修会の結果症状が大きく改善したの
 です。また朗読ができるようになった青年もいました。参加者全員が楽しい達成感と新たな希望を確信し
 ました。こうした感動の連続に施設職員のAさんはその度に「奇跡」「奇跡」という言葉を連発していま
 した。そこで確信した事は「感動」が人を成長させるという現実です。現在社会ではその技能を有する指
 導者がいかに少ないかをこの経験を通じて実感させられました。本当に良い体験でした。

 

 ■エピソードNO6■全身麻痺・最重度言語障害の青年が立って朗読 (家族と同居)

 初めて会った彼は29歳でした。「こんにちわ」も聞き取れません。理解できるのは母親と小学校から指
 導してきた養護学校の先生。言語療法士は「パソコンで文字の会話」を指導したそうです。しかし自由に
 なるのは左足だけで、完全介護状態です。その彼に「話せるようになりたいか」と聞きましたら「はい」
 と答えたので月2回、1時間30分程度の発声訓練を始めました。約半年で「アイウエオ」の約8割が聞
 き取れるようになりました。発声練習で「雨にも負けず」の朗読に挑戦してきましたが1年半で
 「アイウエオ」がほぼ完璧にできるようになり、鮮明な声になったのです。そこで千葉県「文化会館」
 において1300名の観客の前で「雨にも負けず」を朗読することになりました。彼の一言一言丁寧に読
 み上げる朗読は会場を感動の渦に巻き込みました。始まる前に走り回っていた幼児も、じっと聞き入り中
 には涙を流す人もいました。適切な支援と指導で短期間に話せるようになった一例です。もっと早く幼児
 の時に出会っていれば小学校で会話ができたかもしれません。最重度の身体障害・言語障害でもその人そ
 の人に合った適切な支援を行えば会話して、社会活躍できるようになると確信しました。早い時期からの
 支援が大切だと実感しました。

 

 ■エピソードNO7■発声できない児童が立って「アイウエオ」 (放課後デイ)

 小学3・4年生くらいの児童でした。職員は影で「軟体動物」とか「くらげ」と言っていました。事実、
 軟体動物のように床に寝そべったままくねくねしていて椅子にも座れません。しかし私の声には楽しく反
 応して「あ」と言うと嬉しそうに体を緊張させるのです。その緊張トレーニングが一年経つと「あ」と言
 えるようになったのです。さらに進んで椅子に座れるようになり、立ち上がってホワイトボードに貼って
 ある「アイウエオ」を指差し大声で読めるようになったのです。

 どんな子も声を出して意思を伝えることができるように全力で支援すれば必ず良い結果が生まれます。
 諦めてはいけません。なぜって私があった障害と言われている幼児・児童・成人で本人が出来ないと思っ
 ている人は1人もいなかったからです。そう思っているのは周りの人たちではないでしょうか。

 

 ■エピソードNO8■月1回の支援で「奥の細道」の暗唱 (特別支援施設)

 出来ると信じて指導すればその願いは実現します。
 月に1回の支援で発声と奥の細道の朗読指導。1グループ10人から20人程度の3グループに30分
 程度の訓練を2年間行いました。10年にも及ぶ長期の指導をした施設もあります。参加者は約1000
 人以上。参加者の9割が大声で楽しく参加できるようになり、7割が「奥の細道」の一節を朗読できるよ
 うになりました。3年継続して指導した施設では40人ほどが舞台で「発端と旅立ち」を朗読披露しまし
 た。敬老会の慰問講演もしました。

 支援する人が出来ないと思ってすると非常に大きな不幸を招くかもしれません。なぜならそう思う心がそ
 の人に発達を阻害するからです。私は、何も出来ないと思っている指導員・家族が指示してもきっと無視
 されるか反発されると思います。「言うことを聞いてもらえない」のです。
 それでは支援にも指導にもならないと思いませんか。心を感じて楽しく発声。それができれば多くの課題
 が解消します。あなたは奥の細道の暗唱朗読が出来ますか。多くの施設で参加した全員が全部または一節
 を暗唱しています。

 

 ■エピソードNO9■発声訓練で自信がついて就職活動 (就職支援施設)

 その障害者施設はパウンドケーキを作りいくつかの行政施設で他の支援施設と調整して割り当てられた曜
 日に行って販売するのが仕事です。「いらっしゃいませ」この声が出ないと商売になりません。そこで発
 声指導を行いました。合わせて奥の細道の練習。1年目から少しずつ結果が出始め、収入が増えて行った
 のです。月に1人あたり1万円前後の収入が徐々に増え2年経つ頃には4万円近くになったでしょうか。
 なぜなら他の施設は同じように販売活動をするのですが黙ったままお客を待っているだけ。これでは障害
 者の支援として協力してくれる人もいますが徐々に少なくなり、採算割れになっていきました。しかし発
 声訓練をした声は元気よく「いらっしゃいませ・ありがとうございました」と響き渡り、遠くのお客も呼
 び込みます。売れないわけがありません。始めはお人形を抱きしめていた自閉症?の青年もいつのまにか
 施設一番の販売員に変わりました。その中から奥の細道の「日光」までの全文を暗唱した青年が大きな自
 信を持ったのです。そして自ら働きたいと希望する一般会社に行きました。直接社長に就職のお願いに行
 ったのです。社長もびっくり。元気な声と奥の細道に感動してかすぐに就職が決まりました。彼は2年の
 訓練最後の日に文化施設で発表を行ったとき椅子に座っていた私のところに来て平服し「ありがとうござ
 いました。先生のおかげで就職できました。」と言ってくれたのです。これには思わずびっくり、感動し
 ました。

 

 ■エピソードNO10■統合失調症?言語障害の少女が話せるように (放課後デイ)

 小学4・5年生くらいの女児でした。施設の中を走り回り、何を言っても理解されないようでした。
 しかし、2年3年と継続していくうちに私のところへ寄ってくるようになりました。「あ」というと
 「あ」と言えるようになり「アイウエオ」を真似しながら言えるようになったのです。それから奥の細道
 も少しづつ言えるようになりました。徐々に行動も安定し、少しずつ指示も理解するようになりました。
 どんなに手がつけられないと思っていても信念を持って粘り強く継続することの重要性を痛感しました。
 しかし、一般的な保育や障害児支援の勉強を終了して施設に来ても「障害に対する知識と型にはまった対
 応」では難しいのでは?そこからは絶望感しか生まれず、悩み・苦悩し・希望を見出せない生活を送ってい
 る職員がほとんどではないかと思います。考えるより「声」を出してください。その声が「美しい声」に
 なったら周りの環境が一変すると思います。
 
 「美しい声」これが発語障害の児童に声の習得と能力の向上を図ることを体験してください。

 

 ■エピソードNO11■特別支援施設でワッハッハー・エーンエン (特別支援施設)

 社会福祉法人の運営する障害者特別支援施設で約10年に及ぶ支援を行ってきました。施設利用者が「紙
 芝居の上演ができるようになりました。普段は一言も話さない青年も自閉症の青年も約30人近く参加し
 ます。施設の方針で参加者は個人負担があります。それでも必ず参加する人が多いのです。
 車でいくと皆さんが迎えてくれます。紙芝居や絵本を分担して運んでくれます。ホワイトボードにスケ
 ジュールを書き込んでくれます。さあ深呼吸。いっぱいに息を吸ってできるだけ長く声を出し「奥の細道」
 を全員で暗唱します。一通りの課題をこなすと紙芝居で必要な感情表現。そこに若い研修生が参加すると
 みんなの前で「美濁音」「笑う」「泣く」の練習をします。これには関係学校の研修生は面食らってしまい
 なかなか出来ません。すると施設の参加者は「どうだい出来ないだろう」「こうやるんだ」と誇らしげに
 声を出します。難しいのが「笑う」の「ワッハッハー」と「泣く」の「エーンエン」。研修生が初めての
 ことに恥ずかしがって声が出ません。それを見ながらみんなで「ワッハッハー」自信のある声が施設に響
 き渡りました。

 

 ■エピソードNO12■発語のない児童がその場で発声 (発声研修)

 誰でも発声・発語・会話できる具体的支援方法を理解して頂くために開催した研修会でのことです。
 自作の紙芝居で声の出ない小声彦がカラスの指導で大きく息を吸いおなかをいっぱいに膨らませる訓練で
 話ができるようになるというお話。メインはお腹を膨らませて思いっきり吐きながら「カアーー」と声を
 出します。この紙芝居にそれまで声が出なかった幼児も児童も直ぐに真似して「カアーー」「カアーー」
 と鳴き声を真似を始めたのです。これには参加したお母さんもびっくり。声が出ればアイウエオの「発声」
 は必ずできるようになります。次に「発語」次に「会話」とその子の成長をじっくり見ながら指導して来ま
 した。4歳の児童は約一年で会話が始まりました。

 

 ■エピソードNO13■上を見てくるくる回っていた子が会話 (NPO法人)

 その子(当時3歳10ヶ月)に初めて会った時はお母さんの首にしがみつき髪の毛を引っ張っていました。
 人見知りが強く慣れるまで少し時間がかかりました。はじめの約1・2ヶ月くらいはお母さんも発達セン
 ターや他の施設に通っていた関係で「発声」できるようになることをまだ信じていませんでした。しかし、
 その子は私に慣れてくると紙芝居や漢字カードに集中し一生懸命になりました。

 ご両親のたっての希望があり個別指導することにしました。5歳の誕生日が過ぎると見違えるように急成長
 しはじめました。この傾向は多くの児童にも当てはまりますが、初めは極めて小さな変化しか見えません。
 もちろん3ヶ月くらいは発声すらないのです。しかし6ヶ月経つと急に発語が始まり、会話しだすのです。
 「いか」と「たこ」のカードを持って「どっち」と言い出しました。これがどんどん増えて来たのです。
 指示もはっきり理解し、今では「紙芝居」の題名を言うと自分で探して持って来て、ケースから出して
 「紙芝居の舞台」にセットし終わると片付けてくれるのです。

 適切な支援を早い時期から始めると1年で見違えます。今は普通学校を目指して頑張っています。

 

 ■エピソードNO14■ヌーナン症の幼児が立って会話 (児童発達支援)

 ヌーナン症の2・3歳の幼児は支援が始まった時は立って歩けませんでした。寝ながらの呼吸運動を続け
 ているうちに少しづつ呼吸が強くなって来ました。2ヶ月もしないうちに「あーー」と声が出たのです。
 するととんどん体も活性化して立って歩けるようになり「アイウエオ」もしっかりできるようになりまし
 た。
 言葉が話せるようになった時のなんとも言えない可愛らしい笑顔が忘れられません。

 

 ■エピソードNO15■ダウン症の児童が奥の細道を朗読 (特別支援学校生徒)

 ダウン症の3年生の児童でしたがはじめはお母さんが話せないと言っていました。しかし、発声練習と朗
 読の指導をするとしっかりと話せるようになって来たのです。一緒の友達も行動障害でしたが同じように
 しっかりと話せるようになって来ました。つくづく感じたことは発声の仕方やそのための呼吸方法を家庭
 でも学校でも十分できるようにならないのはなぜなのだろうと言うことです。少なくとも最重度の行動障
 害・知的障害・自閉症の複合障害の青年も会話できるようになるのです。心のコミュニケーションができ
 るようになれば誰でもできることが今の社会では難しくなっているのでしょうか。でも幼児は世の宝です。
 どう磨くかは周りの人間関係と環境に大きく左右されます。出来るだけ早く言葉が話せるように支援する
 ことこそ人間としての能力を育むことになると信じています。

 

 ■エピソードNO16■子供が壊れた?!鬱になった女生徒 (普通学校の小学生)

 児童絵画教室を行なっていた当時、小学4年生に成り立ての女児がうつ状態になったとお母さんが泣きな
 がら相談にきました。
 ピアノ・バレー・学習塾・英語教室・絵画教室等々それは極めて過密で多忙なスケジュールでした。
 しかし、その子はお母さんの期待に応えようと一生懸命がんばっていたのです。そんな時、突如「何もし
 たくない」と言い出して全く無気力になってしまったのです。
 しかしその子の希望で「絵画教室だけは行く」といってやってきました。絵を見ると今まで元気に描いて
 いた時とは様変わり。クリスマスの絵を描いたのですが、もみの木が異常に小さく、トナカイが画面の左
 から小さく首だけアンバランスにでているという何とも奇妙な絵でした。実は長年の絵画修行で絵を見る
 とその時の心の変化が見えるのです。それですぐに問題がわかりました。そこで、心のリズムを取り戻す
 指導をしました。たくさんの遊びをしながら、絵を描いたり、犬を飼ってそれを描く事などをしました。
 すると半月もしない間に全快したのです。家族も大喜び、お子さんに過度の期待をかけ心のリズムを見失
 うことのないよう気をつけてください。絵画も声も使い方で心のリズムを調整するのに非常に大きな力を
 発揮します。

 

 ■エピソードNO17■DVの児童が明るく元気に (父親から逃げて生活する家族)

 DVの被害者の母子が相談に来ました。御主人の暴力でお母さんは心の不調を訴え、当時幼稚園の女児と
 小学3年生の男児は成人の男性に恐怖を感じる状態でした。始めは、女児もお母さんの背中に隠れてやっ
 て来たのです。
 そこで行ったのが「あいうえお」と独特の絵画指導方法です。するとあまりの楽しさに女児がお兄ちゃん
 に話をし、今度は家族3人でいっしょに参加する事になりました。
 それからは楽しい時間の連続です。兄妹が楽しく進んでやって来るようになりました。大きな声でストレス
 解消・不思議な絵画指導でどんどん絵がうまくなり、「学校で賞をもらった」と嬉しそうに報告してくれ
 ました。それが一つの自信になりました。兄妹はすっかり全快しました。お母さんも大喜びでした。

 心の免疫力は、感性を育む中でも発達するようです。

 

 ■ エピソードNO18■全く話せない児童が学級のリーダー (特別支援学校)

 特別支援学校に通っていた小学校3年生。声は出るのですが言葉がうまく出せません。
 ご両親に来ていただきお2人の声を聞きました。お母さんはか細い声でお父さんは大きな声ですが命令口
 調の語尾下がり。その子はどちらの声も好きではないようでした。声が出ない要因は様々ありますが、誰
 もが声を出すのが当然と思っている人が多いために発声訓練の方法を知らないのです。加えて色々な施設
 に行っても同様です。一番びっくりするのは言語療法士です。声が出ない子に発声の訓練をするのではな
 くそれ以外のコミュニケーション法を教えるのです。(例えば筆記やパソコンなど)
 声が出ない子に多い原因として「語彙が少なく頭の中に話す言葉がないこと」「声の出し方自体がわから
 ない」「恥ずかしくて話したくない」等々それらが複雑に絡み合っている場合が多いのです。そこでご両
 親に協力していただき家族全員で発声練習を始めました。これは非常に効果が高く、かるたや紙芝居・絵
 画指導などを組み合わせて訓練しました。するとどんどん活発に話せるようになり、元気な声で「おはよ
 うございます」と言えるようになりました。そして人のお世話ができるようになり、ついに学級のリーダ
 ーまで出来るようになったのです。

 





NPO Wa-No-Koye特定非営利活動法人 わのこゑ

■特定非営利活動法人わのこゑ
〒277-0064
千葉県柏市東山2丁目1-47
TEL 03-7176-9800

■児童発達支援こゑ
〒270-0021
千葉県松戸市小金原9-2-3
TEL 047-710-2223
MAIL waka@npo-koye.org


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